マラソン人生Part 3! 次への挑戦!

Part1では走り初めから自己ベストまでを、Part2では40を迎え、絶頂期から後退していく自分を書きました。Part3は!?この時期に書くべきか如何かかなり悩みましたが、あえて書きます!42歳の東京マラソン2007で2時間46分をマーク!これで復活の兆しが見えたと思ってのですが、次のつくばマラソンで2時間54分と失速。しかし、次の東京マラソンでは2時間47分台とまた復活の兆しが・・・しかし、その後は50分切りが出来ない日々が続いています。10kmにしても昨年から36分を切れなくなりました。走るということに対しての倦怠期が来ているのは解ります。ブログで気勢をあげて、頑張ろうと思うのですが、練習の中身が伴なわない!これじゃーでるわけないよね!やったつもりの練習ででるほど、甘くはないよね!昨年の関東マスターズでは、10kmで37分32秒を記録。かなりのショックを受けました。何時かは37分台が出る日が来るだろうとは思っていましたが・・・。それは50を迎えた時くらいと思っていましたから。さて!これからです!このままでは終われない!落ちすぎのモチベーションをどこまで戻せるのか!もう一度!自己ベストを目指していた頃の自分の心を取り戻そう!まだ、心が老いるとしでは無い!

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マラソン人生の生い立ち Part 2 :走暦20年を迎えて!

2007年9月28日で走暦20年を迎えました。前回の「マラソンの生い立ち」では2時間38分46秒(生涯ベストになるでしょう・・・)までの流れを書き込みましたが、今回はその後という事で・・・

2004年の3月に荒川でタイムを出した後、訳の分からない腰痛だか?腸脛靭帯の痛みだか?何かその辺りに痛みが走る状態が5月くらいまで続き、治りかけたと思った矢先の6月頃に今度はふくらはぎの肉離れと、一気に今までの無理が出て来た。少し治りかけた7月のある日の神宮外苑でバレイ君と出会う。(カテゴリーの走友 2 を参照)若き力を得て、スピードに磨きを入れる!39歳!最後の30代のシーズン!10月の千代田区ロードレース5kmで16分37秒。11月の光が丘ロードレース5kmで16分25秒と短い距離に関しては完全復活。しかし12月に入ると身体に異変が起こる。やたら疲れが取れなくなり、訳が分からない・・・走れば走るほどタイムが悪くなる。12月の忘年駅伝では5kmを17分37秒もかかった・・・何とか立て直そうと一週間、あまり練習せずに望んだ東京都下ロードレースの10kmでは何とか34分台でゴール。そのあとも走れない日々が続く。ここから長い低迷期の始まりでした。年を明けての青梅(30km)と荒川(フル)をDNSで終え何とも悲しい限りでした。それからも満足な状態で練習が出来ない日々が続く事に・・・少し良いなと思う練習が出来ていると思うと身体に変調が起きてきて・・・細木数子さんの占いだと六星占術は来年から大殺界に入るらしい。前厄にも入るし・・・と何か最悪じゃん・・・そして40歳シーズンは見事大当たり・・・書きたく無い!・・・まあ、唯一の御報日はしぶやニュー駅伝に於いての神宮前地区の優勝だけ・・・そして41歳シーズン、六星占術では減退期&本厄の真っ最中ながら一かけらの光明が見え始めたのは07年1月の新宿ハーフに於いての走りでした。昔のスピードは無くなったものの自分なりに納得のいくレース展開が出来た。頑張る走りが出来た。タイムは1時間16分05秒であったが、終始頑張る走りが出来たのは2年ぶりの事でしたから!そして東京マラソン2007の走りへと繋げた。2時間46分は現状の力からすれば満足のいくものでした。3月の荒川のフルと4月の東日本国際親善のハーフについては情けないが、今から思うと集中力が切れてました。42歳シーズンに突入し、六星占術では大殺界の停滞期&後厄。今年いっぱいは我慢の年かな?来年からは運気が上がるらしい。タイムは年齢とともに落ちて行くだろうけど、40歳台の内は50分切りを目指して頑張っていきたい!そして走暦30年を目指してGO!

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2006年10月1日:箱根5区を走る会(フォト)

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1.小田原駅にて。

2.小田原駅前にての集合写真。

3.大平台~小涌谷区間。前の男性はF川さん、私の前を走るのがモモちゃん。      

4.走り終えて、温泉に入った後の寛ぎタイム!左からさちこ先生、えっちゃん、Tけし君、私の隣がきくちゃん。 

5.宴会場にて、左がTけし君、右が姉のPちゃん

6.宴会場にて、姉弟で・・・

7.集合写真♪      

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マラソン人生の生い立ち

 走り始めたきっかけは21歳の時、テレビで郷ひろみさんのホノルルマラソンを見て自分もマラソンを一度走ってみたいと思って次の日から走り始めた。確か郷さんは3時間30分位でゴールしていた・・・早朝ランニングを始めて2日目にある女性に出会い声をかけられた。そして、日本にも河口湖マラソンという素晴らしい市民マラソンがある事を知り、取り敢えず初フルをその河口湖で走ろうと目指す。毎日5km位を(今から思うとK5分30秒位)ゆっくりと走る毎日を送る。(まったくの無知でどういうトレーニングをすれば良いのか解らなかった)初レースは10kmロードレース。5kmをゆっくりとした練習しか走った事の無い私には良く解らないままのスタートとなる。そして良く解らないままのゴール。36分20秒。速いのか遅いのか良く解らない!?このタイムをある方に話すと「このタイムならサブスリーを狙える。」と言われた。初めて聞いたサブスリーの言葉!「市民ランナーの夢」と言われた。そこから、マラソン完走から目標がサブスリーへと代わる。(まだ走った事も無いのに・・・)当然走り込みをしたと思うでしょうけど・・・いままで通りに5kmをトコトコ走るだけ。1回だけ30km(3時間程かけて)を走ってレースへ臨んだ。カーボローディングも知らず何もせずに逆に当日はカロリーメートを一箱食べただけ。スタートするとスタート地点まで2分以上かかりやっとまともに走れる様になったのは3km過ぎから、飛ばしたの何のって、ハーフ通過が1時間31分。しかし、23km位いくとガス欠&足が動かない。25km過ぎからは歩いたり走ったりで何とか4時間7分でゴール。苦い初レースとなった。2度目のレースは次の年のつくばマラソン。しかし、これも撃沈。3時間15分かかる。サブスリーの道は険しい・・・それから3年後のつくばマラソン5度目の挑戦で初サブスリーの2時間55分56秒でゴール。今回は30km走を2本(2時間20分)も入れた。(今から思うと良くあんな練習でサブスリーが出来たものだ)ゴール後、感動で涙が止まらなかった。 

 サブスリー達成後は達成感からか上を目指す気持ちもなく何となくレースに向かう感じが続く。あの男が出現するまでは・・・

 何時からだろうか・・・その男が代々木公園に出現したのは・・・一周を走るスピードが私より速い!代々木公園外周は2.5kmある。私は14~15分位で走っているのだがその男は13分30秒位で走っている。その内、一緒に走る様になる。西暦2000年、春頃の事です。

 西暦2001年3月25日。第4回東京・荒川マラソン。前々日から体調が悪く、当日も体調が悪いので、その男のペースメーカーをかってでる。その男とは当然皆さんご存知のたけし.Tけしさん。当然、私も負ける気もなく、絶対に先にゴールをするつもりでスタートをする。しかし、30km付近頃には頭は朦朧としてくるし、とうとう39km地点では置いていかれた。彼は目標の3時間10分切りを果たす。私は3時間14分かかってやっとのゴール。負けた・・・それから一念発起して、トレーニングのレベルアップを図り、その年のつくばマラソンでは2時間45分でゴール。Tけしさんも2時間57分のサブスリーでゴールした。そして、次のレースからは2時間40分切りを目指しての挑戦となる。次の年のつくばマラソンは2時間43分。2003年3月の荒川は2時間42分と30km過ぎからの失速が課題。2003年11月のつくばマラソンを目指して初めて40km走を取り入れる。今までは30km走を1時間55分くらいの持続走を4本ほど2ヶ月の間に入れてレースに臨んだがそれで走れるのは2時間42~3分までと判断。9月と10月の2ヶ月間に3本(3時間5分くらい)入れた。30kmを2本。11月に入りオーバーワークとなり、全然走れなくなる。結局、つくばマラソンはDNS。1か月間、静養。挑戦は来年の荒川に持ち越す。1月、2月に40kmを4本(3時間10分~2時間55分)。青梅マラソンの30km(1時間50分)の長距離ポイント練習、20km(1時間15分)のペース走ポイント練習を2本で臨む。そして見事、荒川で目標達成(2時間38分46秒)。しかし、あまり感動はなく出来て「ホッ」とした安堵感&やって当然の感が強かった。

 そして現在、40歳を迎えて体調の変化など多々難題を抱えるも、「がんばる!」を合言葉に努力していきます。

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